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青春18切符一人旅 福島・会津若松
9日/黒姫~市振
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2022年8月8日直江津
東京駅
群馬/高崎
群馬/水上
新潟/長岡
新潟/直江津
街歩き
直江津ホテル
センチュリーイカヤ

2022年8月8日5:53分/東京駅⑦ホーム青春18切符一人旅の始まり
88日/直江津
99日/黒姫~市振
10日/高岡~金沢
11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り




青春18切符
JR全線の普通列車、快速列車が12,050円で1日乗り放題を5回利用可能
日本国有鉄道が増収策の一環として1982年(S57年)3月「青春18のびのびきっぷ」として発売開始。新幹線/特急/急行を除く旅客鉄道会社全線の普通列車/快速列車など運賃のみで乗車できる。2019年10月~価格(12,050円税込)
春季2月20日~3月31日発売
利用期間3月1日~4月10日
夏季7月1日~8月31日発売
利用期間7月20日~9月10日
冬季12月1日~12月31日発売
利用期間12月10日~1月10日


8月1日フランスから次女&孫が来日、我家に一か月滞在する。
Mは大歓迎だが自分には老後の大切な、自由な時間と空間が失われるのは辛い。そこで今年も自由気儘な一人旅に出かける。だが今年は一週間前からMが腰痛を発症、寝起きもままならない状態。だが変更が難しい所もあり予定通り出発することに。
出発前夜の8月7日は全英オープン女子ゴルフ決勝ラウンド、2019年この大会で優勝した渋野日向子さんが大健闘、2位で最終日を迎えた。惜しくも 首位は他の二人のプレーオフで、一打差の単独3位の快挙。徹夜で観戦してしまって早朝出発の時間。だがMの腰痛が気がかり、玄関で「大丈夫だから」と力ない声を背に、心残りのまま送り出された。


高崎駅コンコース
今日の目的地 直江津の天気予報は快晴、35度以上の猛暑になりそう。
東京駅発5:53分(上野東京ライン)高崎行きに乗車。7:49分 高崎着、乗換時間に駅前のベンチで家から持参のおむすびを食べる。


高崎駅前ベンチで朝食

高崎発8:23分水上行きに乗車~9:31水上駅到着。水上温泉の最寄り駅だが、今日は温泉は行かないでそのまま、水上発9:44分の長岡行きに乗り換える。

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18日/大阪街歩き
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20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
水上駅で9:44発長岡行に乗換

水上~長岡へ

水上駅発9:44発の電車は、湯檜曽~土樽~越後中里~岩原スキー場前~越後湯沢~石打~大沢(新潟県)~上越国際スキー場前~塩沢~六日町~五日町~浦佐 ~八色~小出~越後堀之内~北堀之内~越後川口~小千谷~越後滝谷~宮内(新潟県) ~など数々のスキー場最寄り駅を通過して、終点長岡駅には11:48分に到着

↑長岡駅と駅前大通り↓

長岡駅前大通り、すぐ先の信濃川河川敷で日本三大花火大会「長岡花火」が先週3年ぶりに開催された。

 
長岡駅からは一日目最後の乗換え、12:05分直江津行に乗車~直江津駅13:32分に到着。

直江津駅"0"キロポスト.プレート 
88日/直江津
99日/黒姫~市振
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12日/小松~山中温泉
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21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り

明治31年、北越鉄道が春日新田と沼垂間に鉄道を敷設し、翌32年に直江津まで延伸されたことにより、直江津新潟間が鉄路で結ばれ、直江津に0キロポストが設置されました。信越本線が開業し、高崎駅に0キロポストが設置された後も残され、今に伝わっています...直江津駅案内板より転載

今日宿泊するホテルは直江津駅の真向い「ホテル センチュリー イカヤ」
フロントで荷物を預けて直江津街歩きに出かける。


えちごトキめき鉄道・JR東日本/直江津駅

直江津駅前「ホテル センチュリー イカヤ」
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21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り

ホテル入口前に放浪記の碑。
長年舞台『放浪記』で、林芙美子を演じられた森光子さん自筆の「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」芙美子の詩が刻まれている。

今日の宿「ホテル センチュリー イカヤ」は、『放浪記』にも登場、彼女が直江津駅に降りたって泊まった「いかや旅館」同じ場所で今はホテルとして営業を続けている。


継続だんご
小説『放浪記』にこんな一節がある......『直江津の駅についた。港の駅なり。駅のそばで団子を買った。「この団子の名前は何と言うんですか?」「へえ継続だんごです」「継続だんご.....団子が続いているからですか?」駅の待合所に腰をかけて白い継続だんごを食べる。あんこをなめていると、あんなにも死ぬる為に明るさを感じていた事が馬鹿らしくなって来た』....と直江津で、だんごを食べ生きる気力をとりもどす。
継続だんごは、閉鎖されそうになった直江津米穀取引所が、住民の反対運動で継続になったことを祝って作られた白あんの団子、現在も三野屋菓子店で売られている。

333年前、芭蕉が招かれた直江津/聴信寺

ホテルにリュックを預け、水筒と日傘だけ持って街歩きに出発。ホテル横の大通りを日本海に向かって進むと、芭蕉が元禄2年(1689年)7月6日の昼に招かれた聴信寺があり お参りしていく。


琴平神社


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22日/18切符旅の終わり
聴信寺から更に「三八市通り」を進んだ先に芭蕉の句碑のある琴平神社。



先には港が見える広場の琴平神社、脇に風化して、文字も読み取りにくいが『文月や 六日も常の 夜には似ず』芭蕉の句碑。芭蕉は元禄2年(1689年)7月6日たなばた前日の夜、直江津の句会で、この句を発句として詠んだ。


琴平神社「文月や.....」碑
近年建てられた方

古い方の芭蕉句碑
『文月や 六日も常の 夜には似ず』
【意】明日七夕は、織姫と彦星が出会う年に1度の夜、それを思うと今日6日の夜も、いつもと違う高揚感でわくわくする....



88日/直江津
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24日下部温泉/墓参り

琴平神社隣の広場にある「安寿と厨子王の供養塔」

『山椒大夫』安寿と厨子王は悲劇の姉弟の物語伝説で実在はしていない。


猛暑の中、直江津街歩きを終えホテルに戻る。
日傘をさして歩くのは少し恥ずかしかったが、づっとさして歩いた。日傘は強い陽ざしを遮り日陰を歩いているようで、とてもありがたかった。

M
に部屋から電話して腰の様子を聞くと大丈夫らしく少し安心した。


直江津-ホテルセンチュリーイカヤ

帰り道コンビニでお弁当を買って部屋で夕食。
明日も早朝出発なので下着を洗濯して早めに休む。

直江津-ホテルセンチュリーイカヤ=るるぶで予約.素泊まり \5143-
青春18切符一人旅 福島・会津若松
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8月9日晴れ
2022年8月9日
直江津駅
えちごトキめき鉄道
妙高高原~黒姫駅
小林一茶墓所
小林一茶/生家と終焉の地
黒姫駅
えちごトキめき鉄道
直江津に戻り~市振駅
市振~親不知海岸
富山駅
富山市内散策
ルートイン富山駅前

午後13時富山の気温は
37.5度体温より高い猛暑日
88日/直江津
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21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり



2日目 センチュリーイカヤ部屋の夜明け、今日も猛暑になりそう

早朝の直江津駅から野尻へ
2日目は早朝出発して、直江津~野尻駅から小林一茶.終の棲家~市振街歩き~福井までの行程。早朝4時に起床、ラジオ体操して昨夜用意したパンと牛乳の朝食、5時半直江津ホテルをチェックアウト。えちごトキめき鉄道=トキ鉄ツアーパスを利用して、直江津⇒妙高高原⇒直江津⇒市振間を利用する。

直江津~黒姫間
黒姫~直江津間
直江津~市振間
市振~福井間
のフリー区間を利用

直江津駅から(えちごトキめき鉄道/妙高はねうまライン)で妙高高原へ


直江津~野尻は妙高高原駅で、しなの鉄道に乗換


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6:53分妙高高原駅着 6:53分しなの鉄道に乗換、黒姫駅に7:01到着。
今日も一日快晴、猛暑になりそう。


しなの鉄道/黒姫駅

この駅は開業当時は一茶の生地である「柏原駅」と呼ばれた。
プラットフォームには「やれうつな 蝿が手をすり 足をする」の句碑が建つ。小林一茶は64歳で、没するまでに、2万を超す俳句を作った江戸時代の代表的な俳人。


黒姫駅前にも一茶句碑「蟻の道 雲の峰より つづきけん」

駅前「一茶通り」民家の前に「福来る 門や野山の 笑額」句碑
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24日下部温泉/墓参り

駅舎の向こうには黒姫山、妙高山が見える。
駅から一茶通りを進み小丸山公園へ。
公園の一画、
一茶記念館前に旅姿の一茶像がありその横に小さな俳諧寺がある。朝早く寺は閉まっていて有名な天井画は見れなかった。


「初夢に 古郷を見て 涙かな」一茶句碑。
俳諧寺
俳諧寺から小道の先に小林家の墓(一茶の墓)があり、裏手の細道を辿っていくと、一茶の菩提寺である明専寺に出る。


明専寺の境内には一茶57歳の時の『おらが春』に収録された「我と来て遊べや親のない雀 」の句碑がある。

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明専寺
「我と来て 遊べや 親のない雀」一茶句碑
明専寺から一茶通りに戻り、八二銀行の先にある一茶の生家と終焉の地を尋ねる。



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「これがまあ 終のすみかか 雪五尺」

一茶の代表句      
めでたさや 中位なり おらが春
これがまあ 終のすみかか 雪五尺
やせ蛙 負けるな一茶 これにあり
我と来て 遊べや親の ない雀
うまさうな 雪がふうはり ふわりかな
 
すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る
春風や 牛に引かれて 善光寺
名月を とってくれろと 泣く子かな
やれ打つな はえが手をする 足をする
雪とけて 村一ぱいの 子どもかな


1827(文政10)年、一茶65歳の時に起こった柏宿の大火により家の母屋を失う。一茶は焼け残った土蔵(現・小林一茶旧宅)に移り住み、その年の冬に生涯を閉じた。小林一茶旧宅は昭和32(1957)年に国史跡として指定され、当時の姿に復元されている。



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一茶終の棲家の土蔵

一茶 終の棲家の句碑「門の木も 先つつがなし 夕涼」



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「一茶終の棲家」から黒姫駅に戻る。
駅前右側には明治43(1910)年創業「ふじのや」旅館が現在も営業中。

野尻駅前「ふじのや」旅館
登録有形文化財の貴重な建物

黒姫駅右「ふじのや」旅館

黒姫駅の待合で休憩して待ち、8:21分の電車に乗って8:30分に妙高高原駅で、えちごトキめき鉄道に乗換 8:44~9:42 直江津駅に帰ってくる。

直江津駅から又(えちごトキめき鉄道/日本海ひすいライン)9:45の電車に乗って市振駅に10:53到着。市振の街を見学する。


えちごトキめき鉄道/市振(いちぶり)駅


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市振駅は売店もなにもない無人駅で降りたのは、自分ひとりだけ。
妙高高原から直江津~市振、ここまでが、えちごトキめき鉄道=トキ鉄ツアーパスのフリー乗車区間。


市振駅前を出て左折、海沿いの道を進むと、市振の昔懐かしい街並みが出現。
芭蕉が親不知海岸を難渋し乗り越えてたどり着いた宿場町だ。


市振は越後親不知 西の入り口の宿場

松尾芭蕉も奥の細道途上で通行したであろう市振関所跡
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市振関所跡を過ぎると右前方に「芭蕉宿泊桔梗屋跡」
奥の細道/市振で『一家に遊女もねたり萩と月』が詠まれた場所。

今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云北国一の難所を越て、つかれ侍れば、枕引よせて寐たるに、一間隔て面の方に、若き女の声二人計ときこゆ。年老たるおのこの声も交て物語するをきけば、越後の国新潟と云所の遊女成し。伊勢参宮するとて、此関までおのこの送りて、あすは古郷にかへす文したゝめて、はかなき言伝などしやる也。白浪のよする汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて*、定めなき契、日々の業因、いかにつたなしと、物云をきくきく寐入て、あした旅立に、我々にむかひて、「行衛しらぬ旅路のうさ、あまり覚束なう悲しく侍れば、見えがくれにも御跡をしたひ侍ん。衣の上の御情に大慈のめぐみをたれて結縁せさせ給へ*」と、泪を落す。不便の事には侍れども、「我々は所々にてとヾまる方おほし。只人の行にまかせて行べし。神明の加護、かならず恙なかるべし*」と、云捨て出つゝ、哀さしばらくやまざりけらし 。
....曾良にかたれば、書とヾめ侍る
おくの細道..市振の一節

「芭蕉宿泊/桔梗屋跡」

その先に「弘法の井戸」

さらに進むと、海道の松=難所として知られる親不知への出入り口の目印として、北陸道を往来する旅人たちに古くから親しまれ1974年(昭和49年)天然記念物に指定されたが2016年10月暴風の被害を受けて倒壊した。

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市振/海道の松

海道の松から右海岸先が「親不知海岸」


「親不知」の名称の由来は、幾つかの説がある。一説では、断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道であることから、この名が付いたとされている。また、以下のような伝承もある。
壇ノ浦の戦い後に助命された平頼盛は越後国蒲原郡五百刈村(現在の新潟県長岡市)で落人として暮らしていた。都に住んでいた妻はこのことを聞きつけて、夫を慕って2歳になる子を連れて京都から越後国を目指した。しかし、途中でこの難所を越える際に、連れていた子供を波にさらわれてしまった。悲しみのあまり、妻はその時のことを歌に詠んだ。「親不知 子はこの浦の波枕 越路の磯の 泡と消え行く」以後、その子供がさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになったとする伝説もある......by wikipedhia

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親不知海岸を眺めてから市振に戻り、左へ国道8号線下をくぐり抜け石段を上がると、芭蕉の『一家に遊女もねたり萩と月』句碑のある長円寺の境内。

『一家に遊女もねたり萩と月』句碑

1878年(明治11年)9月28日明治天皇、市振来訪折の御小休所阯及建物。



市振小学校横を通過して、真夏の日差しの中を市振一周して、用意した日傘をさしながら歩き市振駅に戻ってくる。


市振から富山駅間は、あいの風とやま鉄道となり、12:08分の一両編成の電車に乗り12:22分富山駅に到着する。


市振駅から富山駅:あいの風とやま鉄道
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8月9日 お昼過ぎ、富山駅に到着。富山駅から今夜の宿「ルートイン富山駅前」は歩いて数分の便利な場所にある。ホテルのフロントは2階にあり、荷物を預け富山街歩きに出かける。


富山駅

ものすごい暑さ、富山でも日傘をさして歩く。
県庁前公園で立派な日時計を見てから、その先の富山城址公園にある富山城跡へ。

富山城跡


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お城を出て城町通り一丁目にある越中富山の薬店「池田安兵衛商店」を探す。


大きな看板を掲げた江戸時代の様な佇まいの建物が見える。
中に入って見学。


池田屋安兵衛商店の店内にある越中反魂丹を作る道具


越中富山の薬店を見学して富山城を通って富山駅に戻る。

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富山駅前の広場には越中富山の薬売りの像が並ぶ。子供のころ家に富山の置き薬があり年に一度くらいか、薬売りがきていた記憶が残っている。薬売りは風呂敷包みを背負っていて、各家庭で使った分だけ薬代を払い使った薬を補充していく。


富山駅近くの「マリエとやま」に寄って、太巻きすし など夕食の食材を買ってホテルへチェックイン。


「ルートイン富山駅前」

お風呂で汗を流し、靴下と下着を洗濯してから夕食。

「ルートイン富山駅前」Bookingで予約/朝食付き\4312  今日の歩行数11040歩
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8月10日
富山~金沢/猛暑36度
2022年8月10日
富山駅
JR高岡駅
万葉線/高岡駅
万葉線/中新湊
放生津八幡宮/那古の海
万葉線・新町口
高岡駅
金沢駅
金沢・東茶屋街など
ユニゾイン金沢百万石通り
88日/直江津
99日/黒姫~市振
10日/高岡~金沢
11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり

8月10日、今日は八尾に行って「越中おわら盆」の街を見学するつもりが疲れが出てその予定は中止し高岡・放生津八幡宮からに行程変更する。
富山ホテルで朝食後、8:30分チェックアウト、富山駅へ。
今日も猛暑が続くので、歩く距離も結構あり熱中症に十分注意しよう。


万葉線・富山駅

富山駅から「あいの風とやま鉄道」9:00分発に乗って9:18分高岡駅に到着。改札出て階段を降りると、万葉線・高岡駅。優雅な名前の万葉線/路面電車に乗換える。


万葉線

高岡駅9:30分の万葉線に乗って、東新湊駅で下車するつもりが、うっかりひとつ手前の似た名前の中新湊駅で下車してしまう。


万葉線・中新湊駅

Googlemapで確認すると、目指す放生津八幡宮は充分ここからも歩ける場所で15分ほどで八幡宮に到着。



高岡/新湊地区 歩き地図⇒
88日/直江津
99日/黒姫~市振
10日/高岡~金沢
11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり



放生津内川にかかる二の丸橋を渡った先に「放生津八幡宮」

      放生津八幡宮 由緒-------八幡宮案内から転載
嘉祥元年(848)8月に記された当宮の由緒を要約すると、「天平18年、越中国守、大伴家持が奈呉の浦を遊船中、にわかに風が強くなり、波濤高く船の舷に激しくうちつけた。家持は、掌で潮水を掬い、両手を合わせてひたすらに宇佐八幡神に祈願した。すると、たちまち順風に変わり、無事国府に帰ることができた。そこで、家持は、天平19年8月に、本殿、拝殿、七堂伽藍を建立し、宇佐八幡神を勧請した。・・・」というもの。 家持作の「あゆの風 いたく吹くらし 奈呉の海人の 釣する小舟 漕ぎ隠る見ゆ」の歌に詠まれているように、奈呉にはすでに海人の集落があり漁業を営んでいたことが窺える。奈呉は当宮の鎮座地である。家持は、国守として海人の暮らしぶりに関心を持ち、実際に舟に乗って海人の暮らしぶりを見廻られたに違いない。そして、海人の暮らしの安寧と海幸の豊かなことを祈られたと考えられる。この由緒には、家持の強い祈願によって宇佐八幡神が勧請されたことが背景にあると考えられる。当宮は、家持によって創建され、当初は奈呉八幡宮と称されていた。 大伴家持が越中国守として赴任してきた頃、聖武天皇の発願により東大寺の大仏建立が国家的事業となっていた。宇佐八幡宮のご神託があり、宇佐八幡神みずから、天神地祇を率いて大仏建立に協力するというお告げであった。天平17年(745)には、東大寺の大仏の建立が始まった。天平18年(746)に越中に赴任した家持の重要な任務のひとつは、東大寺の寺領を占定し、開墾を進めることであった。正倉院に東大寺墾田地地図(とうだいじこんでんちちず)が保管されている。24枚のうち、17枚までが越中国のものである。家持ら国府の役人達は、東大寺の墾田地の占定や開墾に奔走していたと考えられる。後に、内蔵忌寸縄麻呂(くらのいみきなわまろ)は、造東大寺司判官に任命されている。この人事は、越中国での東大寺領の占定作業に携わった実績が反映しているものと考えられる

放生津八幡宮由緒ある社、芭蕉の句碑は境内のはずれ目立たない場所に建ち、扱いが重視されてない印象。

88日/直江津
99日/黒姫~市振
10日/高岡~金沢
11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
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19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり

神社裏側一帯は富山湾の海で芭蕉が詠んだ「早稲の香や 分入右は 有磯海」で奈呉の浦と呼ばれた歌枕(名所)。町の中心を分けるように流れる放生津内川沿いは風情があり、おくの細道で芭蕉が訪れた頃の風情と変わらないと思われる。


「早稲の香や 分入右は 有磯海」芭蕉句碑

新湊地区の港はかって「奈呉の浦」と呼ばれた歌枕(名所)


「奈呉の浦」から放生津内川へ、川沿いは風情のある風景


放生津内川

帰りは高岡駅よりの一つ手前の新町口駅に出て、11:45分の電車に乗って高岡駅へ戻る。

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22日/18切符旅の終わり



万葉線・高岡駅に11:55到着、12:00発の金沢行の電車があり急いでホームへ、発車間際でぎりぎり乗れた。


富山県から石川県へ倶利伽羅を通過。『倶利伽羅峠の戦い』のあった場所。

『倶利伽羅峠の戦い』
平安時代末期の寿永2年5月11日(1183年6月2日)、越中/加賀のくにざかい倶利伽羅峠で源義仲軍と平維盛率いる平家軍との間で戦われた合戦。
源義仲はこの戦いに大勝し京へ向け進撃、念願の上洛を果たした。大軍を失った平家は安徳天皇を伴って京から西国へ落ち延び平家滅亡への道をたどる。


高岡市内は効率よくまわったので、予定より早く金沢駅に12:41分到着。
混雑している路線バスを避け、ホテルまで1.5㌔あるが ゆっくり歩いて行く。


金沢駅・鼓門(つつみもん)

ホテルへの道すがら、近江町市場(すごい混雑)やデパートに寄りながら、13:15分頃 今日明日2泊する「ユニゾイン金沢百万石通り」に到着。


金沢の宿「ユニゾイン金沢百万石通り」
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21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり



荷物を預け散歩に出るつもりだったが、早めにチェックインでき、1221号の部屋で休憩してから金沢街歩きに出かける。
ホテルから近江町市場の十間町口から入り市場の中を通って鮮魚通口から出て、百万石通りを主計町に向かって歩く。


近江町市場・中通り

泉鏡花生家跡の記念館前にくる。


鏡花記念館裏に芭蕉十哲の一人、立花北枝旧宅



88日/直江津
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12日/小松~山中温泉
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18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り

立花北枝 蕉門十哲の一人。通称.研屋源四郎元禄2年(1689年)7月『おくのほそ道』の旅で金沢を訪れた松尾芭蕉に兄牧童とともに入門。金沢より山中温泉を経て、越前国松岡まで、25日にわたり芭蕉に随行。山中温泉で催した、北枝の《馬かりて燕追ひ行く別れかな》に始まる歌仙は、山中三吟と呼ばれる。同地での芭蕉の教えを書き留めたとされるのが、『山中問答』であり、芭蕉による山中三吟の添削と評などを伝える。松岡での芭蕉との別れに際しては、芭蕉より《物書いて扇引きさく別れかな》の句を贈られた。-----by Wikipediaから転載

主計町茶街

金沢三大茶屋街の一つ主計町茶街をぶらぶら歩き浅野川大橋を渡って右側の東茶屋町へ

金沢三大茶屋街
 ◆ひがし茶屋街
◆にし茶屋街
 ◆主計町茶屋街

東茶屋町
東茶屋街は金沢を代表する茶屋街できれいな佇まい。
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22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り

金沢の茶屋街 天正11年(1583年)に前田利家が金沢城に入城、加賀藩は領民にも謡(うたい)を奨励して多くの領民が謡を習い、その裾野は大きく広がった。金沢は「空から謡が降ってくる」と言われるほどの町になる。江戸時代、城下町近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んだ。文政3年(1820年)加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。この際、旧来の不整形な町割は改められ、整形な街区が形成された。浅野川をはさんで北西には、茶屋街の1つである主計町がある。茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残しているとし、2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。二番丁にある茶屋「志摩」は、歴史的価値が高いことから2003年12月25日に国の重要文化財に指定され、一般公開されている。-----by Wikipediaから転載

国指定重要文化財「志摩」

コロナ感染者数増大している時期だが凄い人出にびっくり。マスクしてなるべく密を避け裏通りを選んで歩く。



ひがし茶屋街、1909(明治42)年 創業 洋食の「自由軒」

金沢三大茶屋街
 ◆ひがし茶屋街
◆にし茶屋街
 ◆主計町茶屋街
主計町・あかり坂
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22日/18切符旅の終わり



2時間ほど街歩きし、帰り道にスーパーに寄り、夕食の弁当、生野菜、牛乳など買ってホテルへ戻る。お風呂に入り下着や靴下を洗濯して夕食にする。
18時頃に留守番のMに電話する。腰痛は続いてるが心配なさそう。出発前アマゾンに注文した湿布薬を貼ってるようだが効果はあまりなさそう。何度も腰痛は経験したが、一度痛めたら、気長にじっとだましだまし時間をかけて直すしかない。

今日の歩行数17533歩 12.3㌔

(ユニゾイン金沢百万石通り/Agoda予約素泊り2泊/\5995)
青春18切符一人旅 福島・会津若松
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8月11日/金沢街歩き
ユニゾイン金沢百万石通り
芭蕉の辻
犀川大橋・成学寺
忍者寺・願念寺
西茶屋街
犀川大橋・香林坊
ユニゾイン金沢百万石通り

「ユニゾイン金沢百万石通り」ロビー
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12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり


石川・金沢 二日目。昨夜早く寝たので深夜2時位から目が覚めてベッドの中でラジオ深夜便を聞く。途中で北海道中川町で震度5強の地震のニュース、連日の大雨の後なので地盤が緩くなっていると、解説する専門家が心配のコメント。こんな深夜に何度も地震が繰り返されて本当に気の毒。


前田家菩提寺「尾山神社」

今日も日中は35度超えの危険な暑さ予報。涼しいうちに歩こうと思い、4時に起き着替える。朝食をとって、日の出の時刻の5時、水筒と日傘を持って、芭蕉の金沢の足跡 街歩きに出発。芭蕉は奥の細道、途中金沢には9泊もした。ホテルを出て百万石通りを犀川に向かって歩く。前田家菩提寺「尾山神社」に寄ってお参りしていく。この神社は2020年の正月金沢に滞在した時に初詣したのが思い出される。


犀川大橋

さらに進み、北國銀行前の交差点わきに「芭蕉の辻」の小さな碑を見つける。芭蕉が8泊宿泊した宮竹屋喜左衛門宅はここから100㍍程先の犀川大橋よりだったようだ。



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22日/18切符旅の終わり



犀川大橋を渡り左折して寺町台寺院群のある蛤坂の小路をのぼり進むと成学寺、境内に「一笑塚」「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」芭蕉句碑が立つ。



成学寺
↑「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」成学寺の芭蕉句碑

↓「民家の庭の芭蕉句碑「春もやや 気色ととのふ 月と梅」

成学寺からさらに進むと、忍者寺とも呼ばれる 妙立寺(日蓮宗)


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忍者寺・妙立寺(日蓮宗)
「忍者寺」と呼ばれ、落とし穴になる賽銭箱、床板をまくると出現する隠し階段、金沢城への抜け道が整備されていたとされる井戸などの仕掛けが、寺のあちこちで見られます。創建当時、徳川幕府と緊張状態にあったため、襲撃に備えて出城・砦の役目を果たしていました。外観は2階建てですが、実際は7層になっていて、23部屋と29階段もあると言われています。迷路のような内部をガイドが案内してくれます。事前の予約が必要です。-----「金沢旅物語」参照


忍者寺・妙立寺の左細い路地を進むと、今日の目的地の一つ、芭蕉の弟子小杉一笑の菩提寺願念寺がひっそりとたっている。


弟子一笑の死をとても悲しみ詠んだ句が、「塚も動け 我泣声 は秋の風」
境内にはその小杉一笑塚。
境内に入ると、寺の住人らしき老人に声をかけられ、それぞれの由来の説明を丁寧に説明してくれた。。



小杉家の菩提寺一笑の辞世の句「心から雪うつくしや西の雲」の句碑。


「塚も動け 我泣声 は秋の風」句碑
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24日下部温泉/墓参り


おくの細道の旅の途中、弟子・小杉一笑の死を知り、とても悲しみ詠んだ句が、
「塚も動け 我泣声 は秋の風」


願念寺を出て大通りを反対側に超えた先の、にし茶屋街へ。ひがし茶屋街に比べ規模は小さな茶屋街で早朝かもしれないが歩く人も少なく活気がない。


金沢三大茶屋街
 ◆ひがし茶屋街
◆にし茶屋街
 ◆主計町茶屋街

にし茶屋街

にし茶屋街から犀川沿いに戻ってくる。

犀川の遊歩道は早朝散歩やジョギングの人達が多数。
犀川大橋を眺める遊歩道脇に「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」芭蕉句碑。




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22日/18切符旅の終わり


金沢・犀川遊歩道

犀川大橋を渡って香林坊を通りホテルにむかう。


犀川大橋

百万石通り・香林坊、普段は人であふれる通りも早朝で人影もまばら。
ホテルへ戻る。

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22日/18切符旅の終わり



2時間ほどの早朝散歩で金沢の日程をこなし終えた。
今日は一日ホテルで高校野球など観戦してのんびり骨休めできそう。

今日の歩行数9581歩


8月10日11日金沢で2泊した
(ユニゾイン金沢百万石通り/Agoda予約素泊り2泊/\5995)
ホテル

青春18切符一人旅 福島・会津若松
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8月12日(金)小松~山中温泉
金沢駅
小松駅
小松/本居日吉神社
小松/多田神社
小松駅
加賀温泉駅
山中温泉菊の湯
山代温泉西口
サンシティホテル山代
金沢駅・鼓門(つづみもん)
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11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり


今日は大幅に予定を変更、金沢ホテルを予定より早く8:00にチェックアウトして金沢駅へ。


金沢駅発 8:29分 福井行の電車に乗り、小松駅に9:00分着。小松市内の2か所の芭蕉ゆかりの神社をまわる。真夏の陽射しの下、日傘(すっかり慣れてきた)をさし、最初の目的地は本居日吉神社。


JR小松駅(石川県)


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22日/18切符旅の終わり



駅から三の市朱門通りのアーケード通りを通って15分ほどで本居日吉神社石の鳥居前に出る。


元禄2年(1689年)7月24日、『奥の細道』途上、松尾芭蕉は、小松の近江屋という旅宿に泊まった。翌25日本折日吉神社で芭蕉はじめ曾良、北枝、ら十人が山王句会を催した。その時の芭蕉の発句が「しほらしき 名や小松吹く 萩すゝき」その後芭蕉は小松を立って山中温泉に行くが、ふたたび小松を訪れている。『奥の細道』の旅で同じ土地を2度も訪れたのは小松のほかにない。


芭蕉留杖の地碑

芭蕉留杖の地碑

本殿の左手の奥に芭蕉留杖の地碑と円筒状の『しおらしき 名や小松吹く 萩すすき』の歌が刻まれた碑がある。

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22日/18切符旅の終わり



本居日吉神社からさらに10分ほど歩き、503年創建されたと伝えられている歴史ある多太神社へ。「むざんやな 甲のしたの きりぎりす」芭蕉の句碑。


芭蕉も感激した「実盛の兜」 
多太神社には伝説の兜が奉納されている。国指定重要文化財、斎藤実盛の兜である。 時代は平安末期斎藤実盛は、平家の武将として戦って倶利伽羅峠の合戦で木曾義仲軍の前に総崩れとなった。そんな中、実盛は老体であったが踏みとどまって奮闘し討ち死にした。その後、義仲がその首を池で洗わせると、墨で塗った黒い髪がみるみる白くなり、幼い頃に命を救ってくれた実盛の首だとわかった。義仲は人目もはばからず涙したという。実盛は出陣前からここを最期の地と覚悟を決めており、老いを侮られないようにと白髪を黒く染めて出陣したのだ。時に実盛73歳の老齢だったという。後に、義仲が戦勝祈願のお礼と実盛の供養のために、多太神社に兜を奉納したのである。この兜にまつわる実盛と義仲の話は『平家物語』巻第七に「実盛」として語られている。それから後の元禄2年(1689年)松尾芭蕉が「奥の細道」の途中にこの地を訪れ、兜を見た芭蕉は実盛を偲び「むざんやな 甲の下の きりぎりす」と詠んだ---まるごと・こまつ・旅ナビ から転載
88日/直江津
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11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
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22日/18切符旅の終わり



多田神社をお参りしたあと、小松駅に戻る。
小松駅から10:15分の電車に乗って~10:27分加賀温泉駅へ。
加賀温泉駅の改札出たところの観光案内所に寄り、明日利用するキャンパス一日券\1000を購入する。


加賀温泉駅前から、路線バスに乗り山代温泉へ向かうバスは途中、山中温泉を通過、明日行く予定だったので山中温泉街を見ていくことにして、芭蕉も逗留した由緒ある、山中温泉共同浴場「菊の湯」前でバスを降りる。


高浜虚子句碑

菊の湯玄関の前の高浜虚子「秋水の 音高まりて 人を想ふ」句碑
昭和27年9月 孫弟子/森田愛子と芭蕉翁を想って山中温泉で詠んだ句。

近くの芭蕉の館で、芭蕉が宿泊した泉屋の跡地に建てられた。

芭蕉 曾良との別れの像
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22日/18切符旅の終わり



弟子の曾良との別れは、山中から先の全昌寺でこう残している。
『曽良は腹を病て、伊勢の国長嶋といふ所にゆかりあれば、先立て行くに、「行行(ゆきゆき)て たふれ伏とも 萩の原」 曽良....と書置たり。行くものの悲しみ、残るもののうらみ、隻鳧(せきふ)のわかれて雲にまよふがごとし。よもまた、「今日よりや 書付(かきつけ)消さん 笠の露」大聖持の城外、全昌寺といふ寺にとまる。なお加賀の地なり。曽良も前の夜この寺に泊て、終宵(よもすがら) 秋風(あきかぜ)聞くや うらの山....と残す』


元禄2年(1689年)3月27日から4か月供に旅してきた弟子の曾良が病で別れることなった時の師弟の苦渋の姿を描いた像。


山中温泉街を歩いて、大聖寺川を渡って 温泉宿・花紫の中を抜け鶴仙渓の遊歩道へおりる。

大聖寺川・鶴仙渓

芭蕉堂
88日/直江津
99日/黒姫~市振
10日/高岡~金沢
11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり


山中温泉・鶴仙渓遊歩道

大聖寺川・鶴仙渓沿いに建つ旅館『花紫』



大聖寺川・黒谷橋のたもとの碑
『此の川の くろ谷橋は 絶景の地や 行脚のたのしみ 奚にあり』芭蕉


山中温泉バスターミナル
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21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり

バスターミナルに戻って、12:15分の加賀温泉駅行きのバスに乗り、山代温泉西口バス停で下車し、今日の宿サンシティホテル山代まで歩き13時頃に到着。


山代温泉西口バス停

サンシティホテル山代では、荷物を預けて山代温泉散策にでかける。山代温泉は情緒がいま一つないが、泉質はいい温泉らしい。北大路魯山人が半年あまり滞在した旧居いろは草庵を通って温泉寺へ。


温泉寺前のブック型のモニュメント。書かれた内容は、この温泉は「あいうえおの里」といって、平安時代に比叡山で「悉曇学(しったん学:梵語(サンスクリット)に関する研究)を学んだ明覚上人が山代温泉/温泉寺ではじめて「あいうえお」を考案したとされたそうだ。それまで「いろはにほへと」だった日本語を母音と子音に分類し、サンスクリット文字の配列に準じて並べ「あいうえお」を考案。


山代温泉は「あいうえおの里」
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15日/奈良/中元万燈籠
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17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり



山代温泉街中央に「総湯」の建物。
ここだけは風情ある木造建物が際立ち、松山・道後温泉本館が連想される。


山代温泉「総湯」

見事な建物に惹かれて、気温36℃越す猛烈な暑さの中、500円チケット買って入浴することにする。


入口で靴を脱いで、湯船のある浴場内へ。更衣室はなく湯船の脇に木造のボックスへ衣類を脱いで入れ、かけ湯して湯舟にはいるという珍しいお風呂。全員がかけ湯しただけで浸かるのでちょっ衛生上問題がある気もする。ただ湯につかるだけのお風呂。こんなお湯も初めてだが、お湯は濁り湯でいい泉質。


気温が体温に近い36℃超える街を歩いてきたので、熱い湯につかる物好きもいないらしく、客は自分だけ、ゆっかり入浴したあとは、下着だけつけて二階の休憩室に上がる。風通しのいい座敷で自然の風が心地よい。火照った身体の熱が冷めるまでしばらく休憩していく。

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22日/18切符旅の終わり


 
山代温泉・総湯で入浴した後、灼熱のような街を歩いて、近くの A.COOPというスーパーに寄って、お弁当と牛乳など買ってホテルに戻る。


山代温泉A.COOPスーパーで夕食を調達

猛暑の中14時半過ぎホテルに帰ってくる。すぐ部屋に入れると思いフロントへ。すると、チェックインは15時からという、14時からinと記載の予約表を提示すると「以前はそうだったけど今は3時からにしてる」...そして支払を求められカードを差し出すと予約金額より600円多い金額を請求されたので、また予約表を提示すると、また「以前はそうだったけど今は...円にしてる」もうまったく!である。「そういうことは客にいうのでなく旅行会社に情報を訂正させるべきでは」というとしぶしぶ金額を訂正、ルームキーを差し出す。年配の女将らしいが客商売の基本が出来ていない。こんなにひどい接客初めての経験。もう二度と利用しないにしても腹の虫がおさまらない。帰ったら予約サイトで最低評価投稿だ。


「ホテル山代」安かろう悪かろうの典型
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24日下部温泉/墓参り


いつまでも腹立てても仕方がない、503号部屋に入って気分を変えて、下着靴下&上シャツを洗濯する。ところが悪い日は悪いことが重なるもの、明日の準備してると、キャンバス一日乗車券が見当たらない。どこかで落としてしまったのか。チケットを購入した観光案内所に電話すると、なんと拾って預かっていてくれていた「明日乗車する山代温泉桔梗ヶ丘でチケットの件はガイドに伝えておきます」と親切な対応にホテルのひどい接客の後の鬱積した気分もすっかり消え、すがすがしくうれしい気持ちにかわった。台風8号が明日は近畿から関東に上陸する予報だが、今のところ北陸は全く影響もなく快晴の毎日。明日の予定を確認して9時頃に寝る。

今日の歩行数13080歩

(ホテル山代/楽天予約/\6000)






青春18切符一人旅 福島・会津若松
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8月13日(土)山代温泉~福井
サンシティホテル山代
山中温泉桔梗ヶ丘
那谷寺
那谷寺参拝
JR加賀温泉駅
大聖寺駅~全昌寺
大聖寺駅~福井
東横イン福井駅前

加賀周遊バス「キャン・バス」山代温泉/桔梗ヶ丘停留所
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加賀周遊バス
「キャン・バス」

ホテル山代の無神経な接客に残念な滞在になったが、朝7時 2階レストランで朝食。これもひどい。いやな気分を切替えて8 :30チェックアウト。バス停まで500㍍くらい歩いて、キャンバス山代温泉桔梗ヶ丘停留所でバスを待つ。8:55分頃にキャンバスが到着、すぐガイドさんから紛失チケットの件説明され無事一日乗車券をもらって出発。


キャンバスは山代温泉から昨日歩いた山中温泉も説明しながら周る。
菊の湯前もキャンバス停留所になっているが、誰も乗る人はいない。乗客は自分ともう一人老齢の方だけ乗せて、9:32分那谷寺に到着 下車する。


那谷寺

帰りのバスは11:27分なので、それまで約2時間あまり、ゆっくり見学する。
停留所前の土産物店でリュックを預かってもらい那谷寺に入る。500円

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芭蕉も訪ねた那谷寺 
石川県小松市にある仏教寺院。高野山真言宗別格本山。寺伝によれば、寛和2年(986年)花山法皇が行幸の折り岩窟で輝く観音三十三身の姿を感じ、求むる観音霊場三十三カ所はすべてこの山に凝縮されるとし、西国三十三観音の一番「那智」と三十三番「谷汲」の山号から一字ずつを取り「自主山厳屋寺」から「那谷寺」へと改名。近世に入って加賀藩藩主前田利常が再建。元禄2年(新暦1689年)奥の細道の松尾芭蕉は弟子の河合曾良と山中温泉で別れ、数日前滞在した小松へ戻る道中参詣し、奇岩霊石がそそりたつ遊仙境の岩肌を臨み句を詠んでいる。----Wikipedia から転載
那谷寺


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24日下部温泉/墓参り


松尾芭蕉はおくの細道で、山中温泉には九日間滞在し、その間にここ那谷寺を参拝している。


「石山の石より白し秋の風」芭蕉句碑


那谷寺門前の「花山亭」


1時間程寺を見学して荷物を預けた「花山亭」でこの旅で初めてお昼を食べる。那谷寺うどんとみたらし団子を注文。どちらもとても美味しい。


那谷寺うどん

加賀周遊バス「キャン・バス」那谷寺門前を11:27分に乗って、12:02分加賀温泉駅に到着。

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JR加賀温泉駅からは12:19分の電車に乗って隣の駅、大聖寺駅で下車。


加賀温泉駅
 
大聖寺駅から全昌寺という芭蕉が宿泊したお寺を参拝する。 

 
大聖寺駅から全昌寺まで道は普通の車道を15分ほど歩く。


全昌寺


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おくの細道で芭蕉は全昌寺をこう書いている。
曽良は腹を病て、伊勢の国長嶋といふ所にゆかりあれば、先立て行くに、「行行(ゆきゆき)て たふれ伏とも 萩の原」 曽良....と書置たり。行くものの悲しみ、残るもののうらみ、隻鳧(せきふ)のわかれて雲にまよふがごとし。よもまた、「今日よりや 書付(かきつけ)消さん 笠の露」大聖持の城外、全昌寺といふ寺にとまる。なお加賀の地なり。曽良も前の夜この寺に泊て、終宵(よもすがら) 秋風(あきかぜ)聞くや うらの山....と残す。一夜の隔て、千里に同じ。われも秋風を聞きて衆寮にふせば、明ぼのの空近う、読経声すむままに、鐘板鳴て食堂に入る。


おくの細道で芭蕉と曾良の辛い別れの情景は、山中温泉の芭蕉の館まえに像が建てられていた。


庭掃いて 出でばや寺に 散る柳...芭蕉
終宵(よもすがら) 秋風聞くや うらの山...曾良


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大聖寺駅に戻り、涼しい待合室がありがたい、電車の時間まで休ませてもらう。


大聖寺駅発 13:28分の福井行きに乗車14:01分福井駅到着。


ホテルは駅前の東横イン福井。着いたときはこの真っ青な空が、その後一転暗くなりものすごい雨がになる。が、直ぐに止んで元の青空に不思議な天気。


東横イン福井一階レストラン
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福井駅構内スーパーで夕食のお弁当買って駅前のホテルへ。しかしチェックインは16時からという。遅い! 待つ間に、ロビーのレストランで早めの夕食のお弁当を食べる。


東横イン福井(Agoda素泊まり\5915) 
すぐにお風呂に入り、明日の旅程の確認する。台風の行方が気になる。

(東横イン/Agoda予約素泊り/\5915)
今日の歩行数12008歩
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8月14日(日)福井から奈良
福井駅
えちぜん鉄道/松岡
松岡天龍寺
福井駅~敦賀
近江今津
京都~奈良
スーパーホテル奈良駅前
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22日/18切符旅の終わり



 
8月14日 月遅れ盆 2日目、今日は福井近郊の松岡・天龍寺を参拝して、敦賀を歩き奈良へ向かう予定。ホテルを6:30分にチェックアウトしてすぐ前のJR福井駅へ。

 
昨夜は福井県は地域によっては大荒れの天気だったようだが、福井駅周辺は曇りの天気、特に変わったことはない。


JR福井駅から連絡通路の先にある、えちぜん鉄道.福井駅へ。
7:35発の電車に乗る。7:56松岡駅に到着 (\400) 



福井市郊外の、えちぜん鉄道.松岡駅は無人駅。なんとも風情のある駅舎。大切に残してほしい建物。

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22日/18切符旅の終わり



踏切を渡って線路沿いの道をすすみ10分ほどで「松岡・天龍寺」あの曹洞宗大本山・永平寺の末寺


天龍寺参道の芭蕉の句が刻まれた記念碑、芭蕉塚。
芭蕉は、おくの細道の途中、1689年(元禄2年)8月天龍寺の大夢和尚を訪ね、寺に宿泊した。



芭蕉は、金沢で門下となり同行してきた立花北枝と共に天龍寺を旅立ち、町はずれの茶屋で北枝との別れに臨み、別れ難い思いを「物書きて扇引きさく余波哉(なごりかな」と詠んだ。



余波の碑
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天龍寺の庭に建つ、別れを惜しむ北枝と芭蕉の姿の、余波の碑。
天龍寺は世界中から多くの人が訪れる坐禅の道場となっていて、参拝していると向こうから青い目の修行僧に出会った。




天龍寺参拝を終えてえちぜん鉄道・松岡駅に戻りしばらく待って福井駅に戻ってくる。それから敦賀へ行く予定だったが、敦賀方面は台風8号の昨夜の豪雨で電車がストップして運行再開のメドがたたないらしい。今日は青春18きっぷの2回目利用して敦賀~奈良と行く予定だったが、敦賀も奈良も今日中に着けるかどうか解らない状態。上下線ともストップしたまま、全く先に進めない状況で、福井にもう一泊するかバスの夜行便で大阪経由で奈良へ行くか、難しい判断が迫られる。


敦賀方面は電車がストップ運行再開のメドがたたない


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列車の乱れを伝える地元NHK放送
福井駅構内は金沢方面行く人と京都方面行く人が右往左往している。皆考えは同じで今日このまま列車が止まった場合今日どうするかだ。やきもきした気持ちで小一時間経過したころ意外と早く、福井駅10:28分に敦賀方面電車が動く場内アナウンス、みんなホームに殺到、混雑の中やっと乗車した電車は11:10頃やっと敦賀に到着。

今日は計画では、敦賀駅から歩1㌔15分.気比神宮~気比松原から左上方向の色ヶ浜を 2:20分周遊して 敦賀駅に戻る予定だったが全て中止、それどころではない。
敦賀に、やっと着いたがその先へ進む電車が、動く気配もなく止まったままの電車内で運転再開するのをじっと待つ。しばらくして11:30頃になり、やっと動き始めたが今度は近江今津駅で又ストップ.....そして、13:10分にやっと動き始め 13:55 なんとか京都駅に辿り着いた。



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ここまでくればもう安心、京都~奈良間は何事もなかったごとく普通に運行していて 京都発 14:03分の電車に乗り14:49 奈良駅に無事到着。福井駅での状況を考えるとこんなに早く着けるとはとても予想できなく本当によかった。


今夜から3泊する「スーパーホテルロハスJR奈良駅」は奈良駅の改札を出てすぐ右の建物なので駅から0分、4階のフロントでチェックイン。
「スーパーホテルロハスJR奈良駅」3泊\23650 \18000分の地域クーポン付き


「いまならプラスキャンペーン」地域クーポン

はじめMと来る予定の奈良/大阪だったが来れなくなり、代わりに大学生の孫のY君が来ることになった。彼も「青春18切符」を利用して早朝出発、17:46分 奈良駅着の電車で無事到着した。今夜から6日間はY君と奈良~大阪を旅する。


JR奈良駅前三条通り

旧奈良駅(観光案内所)と今夜の宿「スーパーホテルロハスJR奈良駅」
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12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり



小さい頃のY君は何度か旅行に連れて行ったものだが、今はもう二十歳も過ぎ、夕食は奈良駅内ビエラ奈良の1F居酒屋・魚民へ。孫もお酒を酌み交わす年になってしまった。地域クーポン利用して支払う。

(スーパーホテルロハスJR奈良駅/楽天.予約/3泊\23650 \18000分地域クーポン付き実質2人-3泊- 5650円

今日の歩行数9438歩
13日/山代温泉~福井 15日/奈良/中元万燈籠
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